青汁こぼれ話     田邉由




「あおしる」と「あおじる」
「青汁」の名前の由来は、創始者遠藤仁郎先生のヒナ子夫人による。「あおしる」と読むのか「あおじる」と読むのか定かでないが、遠藤博士は「あおしる」と言われていたのをおぼえている。創始者が言われるのだから「あおしる」が正しいと思うが、周囲の人は皆「あおじる」と言い、今もなお一般的には「あおじる」がなじんでいる。気になって広辞苑をひいてみると、「あおじる」がのっていた。「(1)青色の汁。生野菜をしぼった汁。(2)ゆでたホウレンソウをすって白味噌をまぜてこし、すまし汁でといて魚菜などを入れた料理。」とある。さらによく調べてみると、(1)の意味は1993年以降に追加されたことがわかった。従来は(2)の意味しかなく、何だかとても由緒ありそうな料理の名前であったようだ。もっとしつこく調べてみると、(1)が追加されたのは、東京の遠藤青汁友の会の田辺弘氏の申し出によることが分かった。青汁の信奉者はどこまでも熱心であるものだと大変驚かされた。

遠藤先生の文字

遠藤先生の葉書や手紙の文字はとても小さい。その上、文章も簡潔で短く小さい。それでいて、読みにくくもなければ、よく分かる。そのできのすばらしさには感心する。ボールペンやインクで書いたものであるが、毛筆の書に勝るとも劣らない芸術であると思っている。私だけが感じていることかも知れないが、良寛の書に通じるような気がしてならない。そういえば、遠藤先生の風貌もどこかしら良寛に似ている。

遠藤先生と勲章
青汁を作ったことは勲章ものだが、遠藤先生が何かの賞をもらったという話はまったく聞いてない。先生は、勲章といった類のものはすべて断っていたとも聞いている。人柄から考えて、それなら良く理解できる。しかし、一方で、先生は青汁でたくさん儲けたから、勲章がもらえなかったのだという話も耳にする。行政が何も知らずにそのように判断したことも、考えられないことはない。だが、現実には、そのようなことはまったく見当違いで、遠藤先生が青汁でいくらかでも儲けたことは、一度もないだろう。この誤解の源は「遠藤青汁」にあり、これをパテントと思っている人も少なくないだろう。しかし遠藤青汁はパテントではなく、先生の方針に一致するものには誰でも使用無料であった。そのために青汁業者が収益をあげても、一切の報酬は要求せず頓着しなかった。他にも、青汁に関する健康相談、指導、講演などすべて無料で、報酬をもらおうなどとは思いもよらないことであったろう。ただ青汁で人々が健康になり、幸せになることだけを喜んでおられた。一般的な常識では考えられないほど、純粋で崇高な人であっただけに、どんな賞をあげても足りず、ノーベル賞でも全然足りないのではないかと、私は思っている。

真昼の酒盛り
遠藤先生は、著書や機関紙などではどうしてもかたいまじめな話が多くなるが、アルコールも飲まれ、冗談も理解され、ゴーゴーダンスもされ、そうでない面も大いにあった。青汁の会では神様のように思われ、なかなかそうした面を披露する機会がなかったように思う。学生のころ友人数人と、先生の山の畑(そのころはまだ官舎に住まれ、近くの山の上に畑があり、そこにケールなど植えて、自給自足されていた)へ遊びに行ったことがある。私たちの顔を見るととても喜ばれ、畑仕事をやめて片隅にあったプレハブの小屋に入れてくれた。青汁の訓話が始まるものと神妙に待っていると、先生が手にしてこられたのは何とジョニ黒(当時の舶来高級ウィスキー)。どうしてこんなところにウィスキーが置いてあるのかとてもびっくりし、またまったく意外なことであっけにもとられていたら、あっという間にまっ昼間の酒盛りとなってしまった。友人たちにはとても偉い先生と脅しておいたが、おかげで遠慮もなくなり容易に打ち解けて大いに盛り上がった。青汁の話も少しはでたが、結局ほとんどは世間話や学生時代の話など世間話をして、先生も普通の人になられて、普段は見せないリラックスした様子で、私たちと楽しそうに飲みかわしておられた。遠藤先生の人柄のようなものが垣間見られる逸話として、強く印象に残っている。

本田先生の木星
本田実先生は12個の彗星と11個の新星を発見し、日本が誇る世界的なアマチュア天文家として知られている。しかし、本田先生が熱心な青汁の信奉者であったことは、あまり知られていないかも知れない。先生は倉敷に住み、市の誇りとして名誉市民になられ、紫綬褒章をはじめとする数多くの賞をもらわれた。この高名な先生が青汁の会合や催しにしばしば出席され、カメラ片手に遠藤先生に同行されていたのを忘れない。いつもベレー帽をかぶり終始にこやかに静かに写真を撮っておられた姿を鮮明におぼえている。本田先生が青汁党(当時青汁に熱心な人をこう呼んでいた)でおられたおかげで、本田先生との個人的な思い出もある。まだ小学生のころ先生の天文台へ案内していただいたときである。先生は暗い夜空に木星と土星を指さし、望遠鏡で見せてくださった。これが太陽系で一番大きい木星だよ、これが土星の輪だよ、本で見るよりきれいだろう、とやさしい笑顔で説明してくださった。ほんの何分かの短い時間であったと思うが、宇宙と同じほどの無限の広がりを持つ大きな記憶として残っている。もう40年以上も経っているのに、この時感じた新鮮な興奮と期待はいまだに鮮明である。今でも夜空で木星に出会うと必ず本田先生のことを思い出し、世俗を忘れ心洗われて生まれ変わったような気持ちになる。これもまた青汁の副産物の一つかも知れないと思っている。本田先生は1990年に亡くなられたが倉敷天文台は今もある。最近40数年ぶりに訪れて大変なつかしい思いがした。庭の片隅にはケールが植えてあった。【写真は倉敷中央病院での遠藤青汁の会の全国総会。壇上の3人の右端が本田先生。左端は遠藤博士、中は貝原先生。】

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